雑貨なのに、なぜアートや民藝だと言ってるのか?
アート、民藝、というキーワードを引っさげて、波紋堂は作品を世に問うています。それにはいろいろな理由があったのです。
普通の雑貨との違い
奇を衒(てら)っているわけではありません。波紋堂として、いくつか作品を発表しているうちに、「あれ?何か違う。。」と思い始めたのです。
普通の雑貨ブランドの雑貨は、誰が見ても「雑貨」です。でも波紋堂の製品は、雑貨でもって「いままでとは違う『何か』を感じてほしい」というメッセージがありました。(そういうのが好きなんです。)
ですから、「何だこれ?」「なぜこんなものを作った?」と思われる作品が多い。これは、私の熱い思いがウッカリ表出してしまったようなものです。意図していたわけではございません。
でも私は雑貨が好きです。本当は雑貨を日々作っていらっしゃる作家さん達の仲間入りをしたかったのです。
でも変なものばっかり作ってしまいました。多分、作家さん達からは白い目で見られるのでは、と不安になってきました。そしてだんだん、「波紋堂の商品はいったい何だ? 雑貨ではないのか?」と悩み始めました。
でもある日、気がつきました。「もしかしてアートかも。」と。友人に言われたのです。「多分起業したら、アートっぽいことやるだろうな、と思ってたよ。」と。
なるほど。では「アート」ということにしよう!
いやしかし、残念ながら、アートの道はもっと険しかった。「会社がアートをする?」「なんだそれ?」となるのです。
そのようなことで、やむを得ず、アートについてもう少し詳しく考えることになったわけです。
でもアートっぽくない。
では何をもって「アート」というのか。調べても、定義ははっきりしません。むしろ、アートの定義を破壊するのも、またアート。
それはともかく、「波紋堂の作品はアートです。」ということにするしかありません。どうすればアートと認められるのでしょうか。どこかの偉い人に認定してもらうのでしょうか。それとも市場が決めるのでしょうか。。
わからないときは原点に戻る。
さて、わからなくなってきたので、原点に戻ります。
一般の人から見ると、アートは「よくわからない。値段高そう。お金持ちの世界。」という印象でしょう。それが一番庶民的な感覚のはずです。
そう、これがアートの見え方。少なくとも、日本人におけるアートの見え方。
- 意味不明
- 値段が高そう
- お金持ちっぽい
この3つを兼ね備えればアートになるはずです(笑)。
いや。。。波紋堂の作品。。。その3つとも。。。ない。。オワッタ。。
今のところすべて数千円で購入できますから。雑貨でもない。アートでもない。だったらなんなのでしょうか?
アート作品だから◯◯万円?
一般に画廊などで売られている作品は、安くても数万円、高いものは数十万円というお値段です。大体、作者の名声と、作品の大きさで相場が決まるようです。
でもこれはまるで、「絵」に、高い値段が付いて、初めて「アート」に昇格している感じがします。
こういう光景をときどき見かけませんか?
- A君「これは何を描いているのですか?」
- B氏「これはね、人間の心の奥深くにある闇を表現してるんだよ。」
- A君「ほー。深いですね〜。」
- B氏「ははっ!君にわかるかね!」
- A君「いや。。ちなみに。。お値段ってどれくらいなんですか?」
- B氏「そうねぇ。これは大きさが3号くらいだから、デパートの展示会だと240万円くらいかな。」
- A君「えー!!高い!! すごいですね!!」 (←ここで初めて「良い作品だ」と思う。)
この流れ、もう大阪の「はい、たこ焼き300万円です。」「えー!やっすいねー!」というくらいのお約束と言ってもいいのではないでしょうか。
お約束なら楽しくていいのですが、値段を聞いた瞬間に、本当に気持ちが変わる場合も多々あると思います。作品の価値が、数値化されて、見える化されたわけです。これは、悪いことではないのです。が。。
アートの値段は、アーティストの心に影響を与えている。
でも私が着目しているのは、この続きです。
もはや一般では「アート作品ということは、◯◯万円とかするんじゃないですか?」と思われています。
この固定観念、実は、「アートを創作する側」にも影響を与えているのではないかと。
アーティストは「よし、これから◯◯万円の作品を作ろう」なんて考えてないと思います。「できれば、高く評価されて、高く売れてくれると助かるなぁ。次の作品を作るためにも。」という感覚のはずです。
でも作りたい作品が、そもそも安いものだとしたら。。
もしかすると「それはギャラリーで販売する感じじゃないよね。」とか、「それは既にアンディ・ウォーホルがやってるし。」と思って、すぐやめてしまう人もいることでしょう。
つまり、売れる値段が、逆に、作者の発想や創作に、少なからず影響を与えるのではないかと。
だれも着手してない「穴」があった。
「売れる値段を気にする」のは、悪いことではないと思います。作品を創り続けることには必要なことですから。
波紋堂が呈する問題は、「そうやって皆が売れる値段を気にした結果、取り残されたものがないか? 芸術的実験が成されないまま、放置されていることはないか?」ということです。
ここでひとつ指摘しておきたいのは、「売れる値段を気にする」というよりも、芸術の市場や流通、つまりアートマーケットを意識する、と言ったほうがいいかもしれない、ということです。つまり、「私は村上隆みたいに派手に売れるタイプの作家じゃないし。。」などと考えることも、ある意味、マーケットを意識した結果のことではないかと。
つまり、芸大を出て、アートで生活していくノウハウを培っていく中で、自然と身につけていくアートマーケットの感覚。そこに疑問を持つことは、とても難しいのではないかと思うのです。
さて、波紋堂はプロダクトデザインの勉強は多少しておりますが、アートのマーケットのことは全くわかりません。でも、だからこそ、そういった見方もできるのではと考えています。
まるで、どこかのハッカーが大手企業のサーバーのセキュリティーホールを発見するように、アート・マーケットの「穴」をひとつ見つけのではないかと。
でもいったい、どうすればいいのか
ここまで考えて、でもやっぱり全くどうすればいいのか見当がつきません。
まあでも、こんな本も出てますので、「未来は明るい!」と思うことにします!
ですから、「当面は日本で活動します」という、ざっくりとした目標しかありません。やりたいこと、且つ、できることから、着手していきます。
まとめ
そのようなわけで、超弱小の一個人が、「企業」を名乗りながら雑貨を作っていたら、いつの間にかアートマーケットへ熱い視線を向けていた、というお話しでした。
とても小さな活動ですが、でも着々と前に進んでいます。どのように進んでいるかは、このブログなどでご覧いただければと思います。ネット販売だけでなく、いつかは雑貨屋さんやギャラリーで、リアル販売を実現したいと考えてます。(コロナ禍が終息するまで、コツコツと準備します!!)
波紋堂のこの活動は、もしかすると徒労に終わるかもしれません。でもギリギリまで粘ります!