「考えないラク」=「動かないラク」
「考えないラク」と「動かないラク」は、ほぼほぼ同じ、というお話しです。
言い換えると、「脳の活動」=「筋肉の活動」となります。
何が似ているかと言うと、鍛えれば強くなり、使わなければ衰える、というところです。
筋肉は裏切らない。
私はどちらかと言えば、脳ミソを使う派。筋肉は使わない派。体育会系の人、筋肉系の人、ごめんなさい。でもいつの日か、筋肉も鍛えたいと思ってます。
数年前に「筋肉は裏切らない」という言葉が流行りました。それを叫びながらマッチョになっていく人たちを見ていると、なんだか微笑ましい気持ちになります。でもマッチョな方々はなぜ、この「裏切らない」という言葉を使ったのでしょうか。
おそらく、結果が出るまでに数年かかることを、コツコツと継続するのは本当に辛いのだと思います。時には「本当にこれでいいのか?」「オレは騙されているんじゃないのか?」と疑ってしまい、中には挫折する人もいるのかもしれません。そんなとき、「筋肉は裏切らない!」と誰かが叫んでくれると、本当に勇気が出るのだと思います。
もうひとつ、「筋肉は、」という部分。 これを聞くと「他は、裏切るかもしれない」ということを暗に言っているようにも聞こえます。
実際、誰か(政治家? 師匠? 先輩? 親?)を信じていたけど、ある日「裏切られた!」と感じてしまう人もいるのだと思います。世の中、辛いこともありますから。
いろんな意味で、「筋肉は裏切らない!」という言葉は、救われた気持ちになるのだと思います。
脳ミソも裏切らない。
さすがに「脳ミソは裏切らない!」なんて言っても流行りそうにはありませんが。でも実際そうだと思います。
殆どの人は、子供のころから学校で脳ミソの能力を「測定」され続けました。自分の脳が、テストの点数という「数値化」で優劣を決められるわけですから、思い出すのもイヤなものです。
でも子供のころに数値化されたものは、ある一時期の、脳の一部分、なのです。
その数値化は、政府の都合だったのか、経団連の要望だったのかはわかりません。でも「こんな人材が欲しいから、それをザックリ数値化して、優秀な人だけ連れてきて!」という政治と経済の都合です。それに適さなかった人たちは、その後の人生でいろいろ苦労します。でも、自分の「脳ミソ」についてはそれほど卑下する必要はないはずです。本来は、千差万別だからこそ意味のある脳ミソですから。
でもひとつ気をつけたいのは、鍛えなければ衰える、ということです。これは、学校で成績が良かった人達も同じだと思います。やはり使わなくなれば衰えます。筋肉とさして変わりません。
そう、筋肉と変わりませんから、「脳ミソは裏切らない!」と叫びながら頭を沢山使えば、数年でマッチョになるはずです。
脳ミソを鍛える難しさ
我思うゆえに我あり。(by デカルト)
自分の頭の中には、考える脳があります。つまりそれが自分の存在です。
だから脳が「ラクしたい」と思えば、自分が「ラクしたい」のと同じです。
ではどうやって脳ミソを鍛えるのか。
実は脳ミソを鍛える上で、ひとつ重大な問題があります。
例えば筋肉であれば、自分の脳で(筋肉は裏切らない!とか言いながら)コントロールできます。でも脳の場合は、どうやってコントロールすればいいのでしょうか。
ここでひとつエピソードをご紹介。
以前、TV番組「激レアさんを連れてきた」に出ていたイシカワさん。24時間マラソンで世界一になったというスゴイ人。
この人がこのようなことを言ってました→「何時間も走ってて、確かに疲れると言えば疲れるんですが、『疲れた』というのは、脳がそう言ってるだけであって。。」「脳はオレじゃないし。」と。
私はこれを聞いて、目が覚めるような気持ちになりました。これは素晴らしい名言です!→「脳はオレじゃないし。」
どういうことか説明しましょう。
「脳はオレじゃないし。」とは?
脳が自分でなければ、いったい何が自分なのでしょうか。「我思うゆえに我あり」だったのではないでしょうか、デカルトさん?
かなり難しいことになってきました。
いやでもそんなに難しくありません。つまり、人間の脳は、その脳の中に「何人かの自分」を持っておくことができる、という考え方です。
よく自分の中の天使と悪魔がぶつかりあっている様子とか、「もう一人の自分が。。」や、「・・という自分がいた」という表現も聞いたことがあると思います。おそらく人間は、自分の脳の中に「何人かの自分」を置いておくことができるのだと思います。でもあまりたくさん自分がいると混乱しますので、取り敢えず「もう一人の自分」ということでまとめておきます。
さて、ここでようやく元の話題に戻っていきます。
- 筋肉を鍛えるとき → 脳が「筋肉は裏切らない!」と励ますことができる。
- 脳を鍛えるとき → 誰が励ます?
そう、脳を筋肉みたいに鍛えるには、「もう一人の自分」が「もっと頑張れ!」と励ませばいいのです。
さらに深く言えば、実は脳と筋肉は密接に関わっています。筋肉を動かすことで、脳に良い刺激が伝わることもあります。例えば、散歩中にいいアイデアが思いついたりするようなときです。
脳を鍛えるというのは、筋肉を鍛えるより少し難しくなってしまいますが、でも慣れてしまえば大したことはありません。
脳がラクなときって、こんなとき。
脳がすごくラクに感じるときとは、つまり「考えなくてよいとき」です。更に言えば、脳は常に「考えなくてよい状態しようとする」です。
例えば、朝起きて→ご飯食べて→ハミガキして→服を着替えて。。という流れ。そんなに考えていないと思います。脳がそれらをルーチンワーク化をしたおかげです。そのことにより、日々の些細なことに脳を使わなくてよくなります。もっと他の重要なことに脳を使えるようになりますから、そこは脳に任せておきたいところです。
そういう日常生活の細々としたものは別に放っておいてもいいのですが。。
とても困るのは、「人生とは何か?」「宇宙とは何か?」といった大きな問題にぶつかったときです。
まったく力のない私の筋肉で、100kgのバーベルを持ち上げるようなものです。
できないし、面倒だから、「考えなーい!」といって放置したり。 そして今度は「そんなことは考える必要がないのだ!」と言い始めます。それは「脳がラクになる」から、とも言えます。
とて重くて、ほぼほぼ持てそうにないものを持ち上げようとしたとき、「持てなーい!」と言って、その後「そんなの持つ必要がない!」と言いはじめるのと似ています。(確かにバーベルなど持ち上げる「必要はない」のですが。)
さて、前記の「もう一人の自分」がいれば、ああ私の脳が面倒くさがってるなぁ、と気づくのですが、もしいない場合どうなるか。
宇宙とは何か?といった難しいことに直面したときには「嫌い!」となります。もし宇宙の素晴らしさを少しでも知っていれば「好き!」となります。
つまり「好き」とはなにか。それは「私にとって脳がラク」という状態なのです。
自分の好きなもの・嫌いなものをいくつか思い出して下さい。大方、それぞれ「よく知っている」と「わからない」だと思います。
一旦、まとめ
だんだん話題が散らばってしまいました。ここで一旦まとめます。
・脳ミソは、筋肉みたいに鍛えられる。
・鍛えるためには「もう一人の自分を持つ」
・「好き」=「知ってる」、「嫌い」=「知らない」
そんなところでしょうか。
私は養老孟司さんの「唯脳論」にかなり影響を受けていますので、そんなお話が大好きです。
さて、一旦終了。。また機会があったら、いろいろ書いて見たいと思います。
オマケ
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