これでも頑張ってマーケティングしてますが、かなり遠慮しています。

こんにちは。

私はつい最近まで、巷にあるマーケティング手法を学び、どんどん取り入れるべきだと思っていました。

事業を継続するためには、何と言っても売上が大切ですから、それは当然だと思っていました。

そう思いながら、なぜか踏み込めない領域を漠然と感じていました。

とても遠慮がちなマーケティングをしていたわけです。

売上に繋がりませんが、それはそれで良いのではないかというお話です。

脳にマーケティングをインプット
脳にマーケティングを

つい最近まで、マーケティングは正解、いや正義とすら思っていました。

私は著名なインフルエンサーが発信する情報を頻繁に拝見しております。

ちきりんさん、イケハヤさん、マナブさん、などなど。本当に素晴らしい情報を発信している方々です。

しかし、先日読んだ本「ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティーを取り戻す」(山口周著)を読んで、根本的に考え方が変わりました。いわゆる『目から鱗が落ちる』や『パラダイムシフト』です。

ちなみに前述のインフルエンサーの方々。

本当にマーケティングに長けた方々なのですが、果たしてその活動は良いことなんだろうか?

そんな疑問を持てるようになったことが、『目から鱗が落ちた』と言いたい部分です。

いままで私は、生きるためにマーケティングは必須であり、インフルエンサーの方々に学び、実践していくべきだと考えていましたが、いまは思い止まってます。

本の内容をここで細かく説明しても仕方ありませんので、本のご紹介だけ。

こちら↓

マーケティングが「悪」と言いたいわけではありません。。

ここまで書くと、マーケティングが正義→悪に変わったと言いたいように思われるかもしれません。

でもそういうわけではありません。やはりマーケティングは「必要」だと思います。

例えば、友達がケーキ屋さんを開いたとしましょう。そして応援する気持ちで、買って食べてみたら結構美味しかったとします。

それは当然、知り合いにも自慢げに教えたくなることでしょう。

でもせいぜい多くて10人程度ではないでしょうか。

その10人だけでケーキ屋さんが成り立てば良いのですが、多分それは無理でしょう。

より多くの人に知ってもらわなければなりません。

それがうまくいかなければ、「ケーキが美味しい。でも知っている人が少ない。」という大問題となるわけです。

そこで登場するのがマーケティングです。

その専門家の手にかかれば(お金もかかりそうですが)、多くの人に知ってもらうことができます。

そしてケーキ屋さんは安定してお店を続けることができる。

マーケティングにはそんな素晴らしい力があるのです。

ですから、やはり否定はできないのです。

マーケティングを突き詰めれば、教育や洗脳の領域に。

マーケティングは素晴らしいのですが、でも昨今では恐ろしく巧妙化、高度化しており、自分がコントロールされていることになかなか気づけなくなってしまいました。

ここで引き続きケーキ屋さんの例。

皆さんが「知っている・知らない」ということがまず重要なのです。

つまり「皆さん!ここにケーキ屋さんがありますよ!」と「教えてあげる」。

それは「1+1は2ですよ」と「教えてあげる」のと同様です。つまり教育。(←問題はこのあたりからです。)

ここまでは、親切と余計なお節介の境目くらいです。

次の段階から少し怪しくなります。

「このケーキ屋さん、とっても美味しい!」と「教えてあげる」。

あれ? 美味しいかどうかは人の好みの問題ですから、「教えてあげる」というのはちょっと違うかもしれません。

ここで少し洗脳っぽくなってきてませんでしょうか。

でもまあ、人類にはある程度共通の「美味しい」がありますから、ここはギリギリ良いとしましょう。

さらに、「特別な日にケーキを食べるのは幸せな家族」という印象を作ったとしましょう。

確かに、家族揃ってケーキを食べるのは幸せなひととき。

でもこれは、なんらかの事情があってそれができない人にとっては、少し寂しい気持ちになることです。

そんなマーケティングさえなければ、寂しい気持ちになんてならなかったのに。

いやマーケティングはもっと巧妙です。

この「寂しい気持ちになるかも」という不安を、裏に含ませることすら計算済みである可能性があります。

これはもっと例がたくさんあるでしょう。

「やっぱり手土産はケーキ」「○○町と言えば、あのケーキ屋さん」「芸能人○○もお気に入り」「自分へのご褒美」などなど。

裏返せば、「嫌われるかも」「知らないことの恐怖」「孤独」「不足感」などを生み出していそうです。

意図している・いないに関わらず。

本当に広告代理店のあくなき探求は尊敬しますし、心理学・脳科学の進化には目を見張るものがあります。

でもよく観察すると、その広告の影で難儀する人もいるかもしれません。

目の前の売上や利益を確保することはとても大切ですが、いろんな人のことや、遠い将来のことまで考えられると、それは「神広告」になり得るのかもしれません。

マーケティング活動は、遠慮がちな人には向かないのか。

まだまだマーケティングには奥深い世界があると思います。

ただいずれにしても、基本的には人に何かを知らしめたり、考え方を変えさせたりする活動です。

これは私のように、「人に無理矢理教えるなんて・・」「人の考え方を変えるなんて・・」とつい遠慮がちに考えてしまう人間にとっては、とても難しい。

ただ単に「遠慮がち」というよりも、そういう倫理観を持ってしまっていますので、自分でそれを払拭しない限りマーケティング活動に罪悪感ばかり感じてしまいます。

やはり向いてないのでしょうか。

いやそんなことはない!と思いたい。

これまでのマーケティング手法は、過去の電通が行ってきたことを少なからず引き継いでいると思います。それはおそらく脳科学的にも「効果的」だとわかっているからだと思います。

これまでのマーケティング手法は、過去の電通などが行ってきた、ちょっと問題がありそうな手法を引き継いでいる部分もあると思います。

いくら「これで数字があがる」という秀逸なテンプレートがあるとしても、安易に使わないほうが良いと思います。

得てして、目先の利益を求め過ぎると、将来のことを見失いがちです。

ここはグッと堪えて、良き未来のために「遠慮がち」を貫いたほうがよいのではないでしょうか。

そうすれば、後になって罪悪感に苛まれることもないと思います。

次の時代は、エコで持続可能を目指すはずです。その流れで「煽り系マーケティング」が排除され、「遠慮系マーケティング」が台頭するかもしれません。

まとめ

マーケティング。それはとても広くて深い世界です。

ここで小さく述べても何の影響もないはずので、好きなように書かせていただきました。

こうして「遠慮系マーケティング」をしていると、事業として持続可能ではなくなります(笑)ので、もう少し皆さんに知ってもらえるように努力をしなければならないと思っています。

日々コツコツと、仮説と実験を繰り返していきます。

ネット上のマーケティングだけでなく、リアルでも活動したいと思っています。

ギャラリーなどを借りて展示したり、イベントに参加したりしたいな、といろいろ考えています。

まだコロナ禍なのでいろいろと遠慮していますが、コロナが終息する日に向けて、力を蓄えていきたいと思います。

どうぞ皆様、今後ともよろしくお願い致します。

ではまた。

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