欲しいモノを、きちんと買うパワー!
欲しい物(モノ)をどんどん買ってみてはどうか、という提案です。
これは、波紋堂が商品を販売する会社だから、みんな買って欲しい、というわけではありません。自戒を込めて、皆さんに提案したいことです。
断捨離は知的でオシャレ。
エコ、ロハス、そして断捨離。すべて知的でオシャレな世界です。実践してみると、これが結構心地いい。世の中に対して良いことをしているような気がする。実際、長年「超消費文化」の中で暮らしてきた私のような団塊ジュニア世代は、昨今の環境問題などに対する罪悪感と反省がなかなか消えません。過去を振り返ると、取り返しのつかないことをしてしまったように思えます。その贖罪の念を忘れないようにするために、断捨離やエコな暮らしに挑んでいるのです。そういった書籍も沢山あり、結構なベストセラーになっているようです。
もしバブルのころにこのような本があったら、世間から非難されたのではないかと思います。でも今はこういう本が売れてます。いい時代になりました。(私はバブルのころにすごく貧乏でしたので。。)
断捨離は世間の要求
今度は断捨離を「時代の流れ」という方向から見てみます。
1980年代はバブルの時代でした。高級な車に乗り、ブランド品を身に纏(まと)うのが良いとされた時代です。安いもの、地味なもの、無名なものは嫌厭され、社会から排除されつつありました。もしあの時代に「断捨離だ」と訴えても、誰にも相手にされなかったはずです。
一方、今は断捨離がこれほど世間に受け入れられています。そういう時代なのです。つまり「断捨離というコンテンツ」が超特別に優れているのではなく、世間がそれを求めているから、だと考えられます。
更に、過去のことを抜きにして考えると、
世間は「何か(something)」を求めていた。その世間に対して、「その何か(something)は断捨離ですよね?」という提案をした。それに対し、「まさにそのとおり!」という反応が返ってきた。
日本は今、そういう空気なのです。
断捨離の反対語は?
「反対語」というと少し子供っぽいですね。正しくは「対義語」です。
断・取・離を一文字づつ対義語を調べたところ、続・取・掴となりました。音読みすると「ゾクシュカク」。
「断捨離」<->「続取掴」(ぞくしゅかく)。全然覚えられそうにありません。語呂がよくないからでしょうか。
「だんしゃり」は「仏舎利」とか「ドンシャリ」みたいに語呂がいいですから、広まりやすかったのでしょう。
そもそも、こんな理屈っぽい考え方では流行り言葉の「断捨離」の対義語としては適当ではないのかもしれません。もっとオシャレでポップにするとしたら。。
例えば「ドンキホ」はどうでしょう? あのディスカウントショップ、ドンキホーテのことです。
以前から思っていたのです。あのゴチャゴチャ感のある店内は、断捨離のは真逆だな、と。断捨離が好きな人にとっては、物欲が渦巻く地獄のような場所ではないでしょうか。断捨離とはまったく逆方向に進んでいる世界。やはりこれは対義語にふさわしい。
ということで私は勝手に決めました。断捨離の対義語、それは「ドンキホ」。
なぜ「断捨離」が欲しくなっているのか
1980年代はバブル。1990年代は失われた10年・・・2010年代は失われた30年。
こんな書籍も出ているくらいですから、そうなんでしょう。
多くの人が断捨離を欲するまでの過程。
・日本は30年も「失われ」続けてきました。随分貧しくなりました。
・でも日々貧しさを嘆いていては、生活はただ辛いだけ。
・「辛い」というマインドは、人が前に進むことを妨げる。
・いま置かれている状況を(一時的にでも)ポジティブなものに変えれば、前に進めるかも。
・しかしポジティブといっても。。
・気合や根性だけではなかなかねぇ。。
・例えば、気軽でオシャレな方法とかあったらいいな。。
・だったら「断捨離はどうでしょう」!
という流れ。「貧乏だから我慢の生活をするのではない。そもそも、モノを持たない生活が幸せなんだ!」というわけです。とてもいい考え方です。合理的で、且つ、普遍的。多くの人が「そうだ! そういう考え方が欲しかった!」となったわけです。
SDGsのことを考えると、「断捨離」は正解。
でもこの断捨離、日本が貧乏になったから、まるで言い訳じみた、無理矢理の考え方を受け入れた、というわけではありません。
昨今、世界中の皆が、地球温暖化を食い止め、持続可能な社会に変えていかなければならなくなっています。ここでも「断捨離」の考え方はピッタリ当てはまるのです。やはり断捨離には、避けて通りたい「我慢の世界」を、なんとか実現したい「幸福な世界」に変える力があるようです。
断捨離は都会的。
実際のところ、モノのない生活はどうなんでしょうか。
私は断捨離活動を行ったことはありません。東京の狭くて安い賃貸アパートに住んでいますので、いやでも断捨離のような生活になってしまってますが。
以前、昭和レトログッズを集めている、とある有名な人が言ってました。
「都会には昭和レトロが残ってない。多分、経済活動が活発だから、古いモノを取り壊して、すぐに新しいものに入れ替わっているのだと思う。」
なるほど、確かに。実感があります。でもこれって断捨離なんでしょうか?
究極の断捨離。四畳半に布団と電気スタンドのみ。
以前、友人が4.5畳風呂なしアパートに住んでいました。私は時々遊びに行ってました。あの狭いところで、よく遊んでたなと思います。
ところでその隣の部屋には、お爺さんが一人で住んでいました。都会ですから、何か訳ありの人なのかな?という程度で、気にも留めていませんでした。たまに廊下などですれ違うときに会釈をするだけの関係です。
そんなある日、そのお爺さんの部屋のドアが開きっぱなしになっていたのです。狭いアパートですから、部屋の中が丸見えです。
それを見て驚きました。
4.5畳の部屋の真ん中に、キッチリと布団が敷いてあり、枕元に電気スタンド。以上。
なんと、それ以外に何も無い!!
これは究極の「断捨離」ではないでしょうか!(いや、「断捨離」ではなく「訳あり」なんでしょうが!)
これを見て私はいろんな妄想をしました。もしかすると、その布団や電気スタンドが「こだわりの逸品」だったのかも? とか、刑務所生活が心地良くて忘れられず、一人で再現していたのか?とか。。いずれにしてもこれは究極の断捨離です!
まあこれは半分冗談ですが。。でも私は若いころにそういうのを見てしまったおかげで、やっぱりモノのある生活は豊かだと思ってしまうのです。
モノが「多い」→「無い」→「ちょうどいい」へ。
私は決して断捨離は否定しません。いやむしろ良いと思います。でも、ぜひ皆さんにお伝えしたいことがあります。
それは、「いまの時代に断捨離を頑張る」と「バブル時代に高級品を求める」は何か共通するものがある、ということです。
確かに「断捨離」は、多くの人に興味を持たれており、環境にも良さそうで、注目されてます。人も集まります。人が集まれば、お金や情報も集まります。お金が集まれば、更に人が集まります。このザワザワした感じ、パッと見、「素晴らしい世界」に見えます。
でも一旦落ち着いて、じっくり自分と向き合って、自分の頭で考えてみて下さい。
どこかの誰かが、自分の頭で考えた素晴らしいこと。そのひとつが「断捨離」でした。
でもあなた自身が、自分の頭で考えた素晴らしい「何か」。それが「断捨離」とは限りません。あなた自身の考え方は、それはそれで一つの素晴らしい「何か」のはずです。
まとめ
私の考えた「何か」とは。。
バブル時代は極端にモノを買う時代でした。でも今は、極端にモノを買わない時代です。どちらもよくないと思います。その中間くらいを目指した方かいい。つまり、ちょうどいいお買い物。ちょうどいい消費。
でもどうやってそんなことを実現するのか? 皆目検討がつきません。
私が若いころ貧乏だったせいか、未だに部屋が狭いせいか、あるいは世の中のミニマリストブームの波に飲み込まれているせいか、とにかく私自身もモノを買わなくなってきています。だから今後は、お金を使って、モノを買う力、「きちんと買うパワー」を身につけたいと考えています。そして皆さんにもオススメしたい!
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