アートの価値、あなたが決めて下さい。

小津安二郎の名言。「どうでもよいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う」

時代が進むにつれ、アートはいろいろと進化・変化しています。

かつては「抽象画とか現代アートって意味わかんないから嫌い!」などと言われ、アートに不案内な人には随分嫌われていました。

絵画鑑賞の図
アートの価値は自分で決める。

しかし今となっては、多少アートに詳しい人でも「そんなのあるの?」と言うくらい、◯◯アートと名の付くものがたくさんあります。

そしてそのアートの価値は「お金」という数値化されたモノサシでも、測ることは困難になっています。

どエラい人に評価されて¥◯◯◯(なんぼ)

巷では、いろんな人の頭の中で、以下のような思考がなされているのではないでしょうか。

とある人の独り言。。

・・・アート、芸術は難しい。何が良い作品なのか、さっぱりわからん。

多分、頭良さそうな人が「これいいね」って言ってたやつ、それがいいやつだな。

こんど買うときは、あの超頭のいい人が「いいね!」と言ってたやつを買おう。

そして友達の山田君に、「このアート、◯◯っていう人が『いいね!』って言ってたやつだよ」と自慢しよう。

山田君は間違いなく、「え!マジで!すごいね!」と驚き、私を羨ましがるだろう!・・・

はい。ちょっと誇張してしまいました。すいません。

でもこういう考え方、そこそこ当てはまることがあると思います。(私もこんな感じに考えるときがあります。)

これはつまり「権威主義」というものです。どこかの「どエラい人」が、作品の価値基準を決めて、みながそれに従っている状態。中央集権的とも言えます。

でもこれはこれで一利あります。やはり人間、生きていればいろんなことを考えなければなりません。だから、なんでもかんでも自分で考えるわけにはいきません。多くのことは、その分野に関して詳しい人を見つけて、「その人がそう言うなら間違いないだろう。信頼しよう。自分の脳を節約できるし。」となるのです。

それはそれでいいのですが、こと芸術のこととなると、「それでいいのかな?」と少しモヤモヤしたものが残ります。

ネット社会が、全てのパワーバランスを揺るがす

近代芸術(ピカソやゴッホなど)の時代は、おそらく圧倒的に権威主義だったのだろうと思います。芸術家と呼ばれる人はごく僅かで、それを評価できる人もごく僅かで、ある意味、特権があったのです。

しかし昨今のネットが普及した社会。

こういった一部の人だけで行われてきたそのノウハウが、今では簡単に手に入るようになりました。その結果、一部の権威ある人だけでなく、例えばインフルエンサーと呼ばれる多数の人たちに拡散し始めました。更に、大きなインフルエンサーから小さなインフルエンサーへと拡散します。

これはちょうど、水彩で、絵具のついた筆先を水差しに入れたら、水の中に絵具がワッと広がるようなイメージでしょうか。

政治家からNPOやボランティア、大企業からベンチャー、学校から教育コンテンツ、などなど。一部の特権を持っている人達に集中していたものが、一気に広がって、薄められていきます。

それネット社会ならでは、のことです。「ネットによる権威の希釈」と言えるのではないでしょうか。

もはや金額の世界ではない

ご存知でしょうか。私は知りませんでした。

◯マゾンでアートが売られていることを。

手書きの油彩画、40 x 40cmサイズで¥2,999。(2021.2.15現在)

このサイズの絵を描くのに、一体何時間かかるのでしょうか。もはやその辺のバイトよりも時給が安いかもしれません。

でもこの絵画、おそらく無名の絵描きさん(クリエイター)が書いたものだと思います。だから¥2,999なのでしょう。

一方、この作品を購入する人は、「とりあえず部屋に、絵を一枚飾ればそこそこ体裁よくなるだろう。一番安いやつをポチッとな。」で購入するのだと思います。いや中には「めっちゃ気に入った。しかも安い。ポチッとな。」で購入される人もいるかもしれません。

実は需要と供給のバランスから考えると、絵画作品というものは、自然とこういう価格帯になるものなのかもしれません。決して生活必需品ではありませんから。

いろいろと事情があるにせよ、このそこそこ体裁の良い絵画が、激安で、簡単に購入できるということ。その昔、ピカソが云々などと言っていた時代から考えると驚くべきことではないでしょうか。

音楽業界と同様の流れに飲み込まれそうな気がする。

ネットにより権威が薄められ、作品は格安で流通し、もう何がなんだかわからなくなってきました。

ここで音楽の世界を少し見てみましょう。

Apple MusicやSpotifyなどのサブスク、あるいはYouTubeなどのおかげで、今は定額、あるいは無料で、ほぼ全ての音楽が聴ける時代となりました。中には絶対にデータをネット上にアップロードしないアーティストもいますが、それはごく一部です。

では音楽を作っている人たちはどうやって収入を得ているのか。

おそらくネットで聴ける音楽は、「広告材料」なのではないかと思います。広告して、知名度を上げて、ブランド力を高めて、そしてライブにできるだけ多くの人を集め、そこでようやく収益化する。そういう構造になっているのだと思います。(コロナ禍ではそれができないのですが。。)もはやレコードやCDを製造・販売して、それで利益を得るというビジネスモデルは過去のものになってしまったのです。

この状況の変化、もしかするとアートの世界も、そういう大きな波に飲み込まれようとしているのではないでしょうか。

(この辺の話題については、先日のブログでも書きましたが。。)

もはや芸術家の作品は、スマホで見る時代。毎日無料で、いろんなアーティストの新作が大量に見れます。

いやもちろん、そんな小さな画面で何がわかる?という意見もあります。でもかつて、初めてCDが発売されたとき「こんな小さなジャケットはちょっと・・」という人も多かったのです。でも皆、あっという間に慣れました。そんなものです。

でも例えば、ミュージシャンの場合は、「ネット配信でマーケティング→ライブでマネタイズ」という構造に変化させていきましたが、芸術家はいったいどうすればいいのでしょうか。

「ネット配信でマーケティング→個展でマネタイズ」というのが大道かもしれません。しかし、ネットで絵画が¥2,999で売られている現状を考えると、なかなか厳しい。ライブのように「みんなで同じ時間を過ごす」と言った感覚もない。ライブペインティングが得意な人であれば良いのですが、そういう人はごく一部。音楽のビジネスモデルをそのまま応用するのは難しそうです。

となると、お先真っ暗。。

これからどうしよう、芸術家。

ただ悲観的になっても仕方ありません。他の視点からもアートの先行きを考えてみましょう。

コロナ禍により、社会にネット文化が、今まで以上に浸透してきたと思います。

ネット文化と言っても漠然としています。ひとつ例を上げるなら、前述の「ネットによる権威の希釈」のことです。

これはもう逃れようのない流れです。その流れから私が予測しているのは、「アーティスト」は皆の憧れるカッコいい職業ではなくなるのではないか、ということです。特別な人ではなく、より平凡な人になるのではないかと。ちょうど、最近は銀行員がエリートから普通のサラリーマンへと変貌しているように、アーティストもそうなるのではないかと。

ちょっと残念に思う人もいるかもしれませんが、でもそのかわり、学生さんでも、会社勤めの人でも、引退された年配の方でも、アーティストとして認知されやすくなる可能性があると思います。

そしていままで「権威者」が負っていた役割を、インフルエンサーが担っていくのではないかと。いや、インフルエンサーと言っても、影響力の大小があり、その変化も早くなりそうです。

行き着くところは、個人。

ひとつヒントなるかもしれない、最近知ったこと。

それは1910年前後に「抽象画」が生まれた経緯。

今までは、カンディンスキーが初めて抽象画を描いたとされてきました。でも芸術の歴史を紐解くと、実はその時代に、世界中で同時多発的に、抽象画を描く人が現れていた、という興味深いお話しがあります。

ちょうど第一次世界大戦の前後の時代。その時代に生きたことのない人達は理解できないのかもしれませんが、もしかするとその時代、「抽象欲」とでも言うのでしょうか、多くの人の心に沸沸と湧き上がる何かがあったのではないかと、私は想像しています。

それは、その時代に芸術が高度に難解になったのではなく、そのモヤモヤ(沸沸)を言語化しようともがいた結果なのではないでしょうか。

だから今このネットにより変化している世の中で暮らしながら、心の奥からモヤモヤと上がってくるものをアウトプットしてみるのが良さそうな気がしてきました。文脈?言語化?・・それは後回しにしてもいいし、言語能力の優れている人にお任せしてもいいのかもしれません。

そのためにも、ネット社会にドップリ浸かり、時代の空気を吸い込んで、好きなものを好きだと言い、「これがいい!」と思ったものをアウトプットすればいいのではないかと。

もしかすると多くのアーティストは、芸術を深く考え過ぎているのかもしれません。

ではまた。

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