マインドフルネスや心理学の文具
こんにちは。
今回はマインドフルネスや心理学と文具について考えてみたいと思います。
そもそも文具・文房具を使うこと自体、マインドフルネス的な要素もありますが、ここでは少し深いところまで考えてみたいと思います。
和風を求めたわけではありません。マインドフルネスを求めた結果です。
「枯山水、龍安寺、石庭」と言えば、かなり「和」な感じがします。
しかし、弊社の作品「モンペン立て」は、そのキャッチコピーが「モンブラン、モン・サン・ミシェル、モンペン立て」という程、そこそこに洋風でもあります。
つまり、「和」も「洋」も特に意識せず、関連のあるものを取り入れています。
その基準になるものが、「マインドフルネス」だったのです。
文具・文房具と言えば、学校の勉強か、事務仕事のイメージです。それは「地獄の義務」のイメージでもあります。
しかし現代のビジネスパーソンは、会社の政治闘争に巻き込まれ、日々鬱々と暮らしている人もいます。そんなとき、ふとしたきっかけで「勉強は楽しいこと」「事務仕事は癒しタイム」だったことに気がつく人も結構いると思います。
もしかすると、接客や介護の仕事、肉体労働など、およそ文具とは離れたところにあるお仕事をされている人は、同じような発見をされる可能性が高いのではないかと思うのです。
そんな方々を少しでも癒してあげたい。。
そんな思いを持ちながら作品を作っています。
枯山水の時代(室町時代)、セレブは何を考えたのか
枯山水という形式の庭は、室町時代から作られ始めたそうです。
一休さん(禅僧)の時代です。
禅の思想は、当時のセレブ達の心を鷲掴みにしたようです。その権力・財力が、枯山水のお庭を完成させるに至ったわけですから、不思議なものです。その後、平家物語で「諸行無常」などと語られることも、もしかすると薄々感じていたのでしょうか。
枯山水の庭で最も有名なのが、京都の龍安寺にある「石庭」です。(石和温泉のホテル石庭とはかなり違います。)
世界的にも知られている芸術的な庭。
かの有名な現代音楽作曲家ジョン・ケージも「Ryoanji」という曲を作っているくらいです。
禅の思想が、いま流行りのマインドフルネスにも影響を与えていることは有名です。そのことを考えると、時代を超えて、普遍的な「何か」が、そこにあるのかもしれません。
現代のビジネスパーソンも、室町時代のセレブも、同じことを感じているのかもしれません。
つまり「あー、人間関係って、いろいろ大変!」など。。
日本の美意識に「非対称性」という特徴がある。
さて、作品の「形」について少し説明させていただきます。
龍安寺の石庭はまったく非対称、つまりアシンメトリーです。
古来から日本の美意識はなぜか「非対称」なのだそうです。
例えば、日本のお寺の敷地内の建物の配置。
つまり本堂と仏舎利塔(五重塔など)の配置は、なぜかアシンメトリー。
これがヨーロッパですと、カチッとシンメトリーだったりします。
例えばこちら→wikipedia フランス式庭園
この違いは一体なんなのでしょうか?
あくまでこれは私一個人の見解ですが、日本で暮らす人々の心のどこかに縄文文化の空気感が脈々と残っており、それが影響を与えているのではないか、と考えています。
書物や口伝では伝わらない、何かモヤっとした「意識」のようなもの。
縄文人は何万年も日本で暮らしていたわけですから、日本の地形や気候に最も馴染むものを非常によく理解していたのではないかと思うのです。いや、そんな妄想をするだけで楽しいのです。
それにしても、なんの記録もなく、土器ぐらいしか残ってませんので、すべては謎です。でも、こと日本で暮らすことにおいては、縄文人の方が長けていても不思議はありません。何しろ数万年も日本で生活していたわけですから。
本当のことはわかりませんが、でも実際、日本人はなぜかいろいろなものをアシンメトリーに作ってしまうようです。その方がなんとなく馴染むのです。
まるで何かに突き動かされているような、不思議な力が働いているように思われてなりません。。
「自然に馴染む」はサステイナブル
日本で暮らす人間の活動のルーツを探り、「なんとなく自然と馴染む」ことをモノづくり落とし込んでいきますと、ふと気が付きます。これって、SDGsじゃないのか?ということに。
左右、上下、非対称な形状というのは、とても生産効率の悪い形です。
つまり、「大量生産・大量消費」「安い・早い・便利」とは全く逆方向に進んでいます。
だからこそ、モノを大切にしたり、長く愛着を持ったりする、心の豊かさが見えてきます。
お金でもありません。モノでもありません。大切なのは心だと思います。
無意識の美意識
このタイトル、キマった。「無意識の美意識」。ライミング完了。 いえいえ、そういうことではありません。
心理学に興味があり、いろいろと本を読んだことがあります。
心理学の中で、最も重要なのは「無意識」だと思います。心理学においては、「意識」よりも「無意識」の方が大きいとされています。(諸説ありますが。)
見えないところに大きな「無意識」があり、その上の方に少しだけ見えているのが「意識」。
つまり、「意識」は「氷山の一角」ということです。
人間の脳の活動ですので、開いて見れるわけではありません。つまり明確な証拠はないのです。そういう意味では胡散臭い荒唐無稽のお話のようにも捉えることができるかもしれません。これが心理学という学問の中にある巨大な壁ではあるのですが。。
でも無意識の存在というお話を聞くと、漠然と「やっぱりそうか」と感じる人も多いのではないでしょうか。人間の中には、まだまだ説明できないいろんなことがあるのだと思います。
そして「無意識の美意識」。
お花や風景を見て「美しい」と感じる。それは「氷山の一角」であり、実は見えないところに大きな無意識の美意識があるのではないかと思うのです。
人はなぜ「美しい」と感じるのか。
それは、生まれつき備わっているものではありません。
生きていく中で培われるものです。記憶・知識・意識といったものが作用しているわけです。
住んでいる場所や国が違えば、美しいと思うものも変わってくることを考えると、それは間違いないと思います。
世界共通だったり、国ごと、地域ごとに違ったり、いろいろです。
でも言えることは、人間は普段の生活の中で、無意識の中に美意識の素となる「何か」を、常に吸収し続けている、ということです。
モノは日常の無意識に働きかける
あなたの机の上には、何が置いてますか? 枕元には、何が置いてますか?
例えばそれが、どこかで発掘されたアンモナイトの化石だとしましょう。見る度に、大昔、海の中で泳ぐ生物や、海底で休んでいる三葉虫がいる風景を想像・妄想するでしょう。
例えばそれが、お気に入りのぬいぐるみだったとしましょう。見る度に、ふんわりとした感触を思い出して、落ち着くでしょう。
などなど。
身の回りに何を置いているか。それは、知らず知らずのうちに、あなたの「無意識の美意識」へ働きかけているのではないでしょうか。
花を一輪飾っていたらどうでしょう?
家族との思い出の写真だったらどうでしょう?
オモシロアイデアグッズだったらどうでしょう?
たとえ安いものでも、あるいは一見ゴミのように見えるものでも、使っている人が気に入っていれば、それでよいのです。
ただ、投げやりだったり、やさぐれているのであれば、あまり良いことにはならないのではないでしょうか。(例えば「そんなの別に、100均でいいよ」などと思うこと。)
自分の身の回りに「何を置く」か。
さらに言えば、買い物をする瞬間に「何を買う」か。
安いから、とか、自慢できるから、と言ったことで何を買うか決めるのは、だんだん心が殺伐としてきそうです。
そうではなく、もし自分の「美意識を育てる」という気持ちでモノを購入できるようになれば、知らず知らずのうちに身の回りにお気に入りグッズが配置されていき、心も豊かになっていくのではないでしょうか。
際限なく欲しくなってしまうお金を追い求めるよりも、美意識を大切にする。そろそろ、そんな時代になりつつあるのではないでしょうか。
まとめ
さてそのようなわけで、モノが人にどんな影響を与えているか、ということを考えてきました。
弊社は文具などの雑貨を作って、販売するというお仕事をしています。正直なところ、若干の生活の足しになっても、これで食べていけるとは思えません。
でもこうして、文具を通じて、モノと心の関係性について、誰か一人でも多くの人にお伝えすることができれば何よりです。
文具や雑貨は、特にみなさんの身近にある「モノ」です。
波紋堂の作品、販売する上で、普段ここまで難しいことをお伝えする機会はなかなかございませんが、実は、こういったメッセージを密かに込めて、ひとつずつ丁寧にお届けしております。何卒、ご理解いただきたく存じます。
ではまた。
本当は枯山水(特に龍安寺の石庭)で記念写真を撮ってあげたい「モンペン立て」などなど、波紋堂の作品をいろいろご紹介。
実はonline store もあります。